8. 脳とホルモンからみた情動
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1. 情動に関する理論
情動
私たちは普段「悲しいから泣く」「楽しいから笑う」というふうに、情動経験が原因でその結果が情動反応であると考えるのではないだろうか
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末梢起源説(ジェームズ・ランゲ説)
アメリカの心理学者ウィリアム=ジェームズ(ウィリアム・ジェームズ, James, W.)が1880年代に提唱
身体の末梢の反応(内臓や筋の変化)が情動経験よりも先に生じ、末梢の反応が大脳皮質で感知されて初めて情動経験が生じる
アメリカの生理学者ウォルター=キャノン(Cannon, W.)は次の5点を反証として末梢起源説を批判
中枢神経系と内臓との間の神経連絡を切断しても情動行動は変化しない
異なる種類の情動や、情動とは関係のない場面(発熱や、寒冷への曝露)でさえ、それぞれ似たような身体反応が生じていることがある
内臓は感受性が鈍い器官である
情動の源となるには、内臓の変化はあまりにも緩慢である
強い情動に典型的な末梢の変化を生じさせる薬物によって人工的に末梢変化を生じさせても、それに相当する情動は生じない
中枢起源説(キャノン・バード説)
情動は中枢における活動パターンの変化が情動の起源であり、視床の活動パターンの変化が末梢に伝えられると同時に大脳皮質にも伝えられ情動経験となる図式
ネコをもちいたバードによる破壊法の知見に基づきキャノンは視床が重要であると考えた
キャノンの説では様々な情動の種類を区別しうるほどには末梢変化に種類がないと想定されたが、必ずしも正しくないことが示された
アックスの実験(Ax, 1953)によると、実験参加者が怒りを感じている時の生理指標と恐れを感じている時の生理指標の変化パターンがかなり異なっていることがわかった
後年、エクマンらの研究(Ekman et al., 1983)においても、実験参加者に様々な情動状態を思い浮かべその表情をしてもらうという課題で生理指標を測定したところ、情動ごとに生理反応パターンが異なるという結果が得られている
情動の二要因説
1960年代にシャクター(Shachter,S.)とシンガー(Singer,J.)が提唱
ジェームズ・ランゲ説の修正ともいえる
情動の生起には身体の喚起を必要とするが、それだけでは情動の種類は決まらず、生体がその喚起の原因をどのように解釈するかに依存して情動の種類が決まるという説
交感神経系を活性化させるアドレナリンを(そのような作用を持つ薬物とは知らされずに)投与された実験参加者の情動が、その周囲の状況によって怒りを感じたり幸せを感じたりというふうに、その身体変化が何の理由によると本人が判断するかによって情動の種類は異なってくると主張した(Schachter & Singer, 1962)
これは認知ラベリングによって、自己の反応を誤って帰属する事がありうる例として有名な実験
2. 情動の神経メカニズム
情動に関与する神経系、すなわち「情動系」といったものがあるだろうか
情動に伴う身体反応には心臓の鼓動の増加や発汗や立毛など様々なものがあるが、これらはおおむね生体の意思とは関係なくいわば自動的に生じるもの
自律神経系(autonomic nervous system)
末梢神経のうち、そのような自動的・非随意的な指令を司る神経系
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交感神経系
主に身体の興奮を引き起こす
脊髄の中央部の胸髄・腰髄から神経が発する
ノルアドレナリンを神経伝達物質として放出する
副交感神経系
主に身体の鎮静を引き起こす
ただし、胃腸は逆に副交感神経系によって活性化される
脳幹および脊髄下方の仙髄から発する
アセチルコリンを神経伝達物質として放出する
これらの自律神経系の活動を直接司る脳部位は間脳の視床下部であり、さらに視床下部は大脳辺縁系と呼ばれる脳の機能単位からの影響を強く受ける
大脳辺縁系
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脳幹の周囲に位置する脳領域
解剖学上の特定の部位というよりはおもに情動に関わる機能部位と考えらている
帯状回、海馬、扁桃体、脳弓、中隔などをひっくるめた呼び名
この概念は1950年代にポール=マクリーン(ポール・マクリーン, MacLean, P.D.)によって一般化したが、それ以前の1937年に解剖学者パペッツ(Papez,J.W.)が、この大脳辺縁系に重なるような脳部位同士のつながりからなる回路を情動回路として提唱している
パペッツは、海馬、脳弓、乳頭体、視床前核、帯状皮質、そして海馬に戻る閉回路を信号がまわるうちに情動的な色合いを帯びると考えた
この大脳辺縁系はマクリーンの用語によれば「旧哺乳類脳」であり、霊長類以外の哺乳類においても比較的発達した脳部位
大脳皮質(マクリーンの用語によれば「新哺乳類脳」)に比べて系統発生の上で早い時期に発達した部分と考えられる
情動に関係する重要な知見として、1937年のハインリッヒ=クリューバー(Klüver,H.)とポール=ビュシー(Bucy,P.)による研究
サルの側頭葉を左右とも切除すると、以下の一連の症状が見られた
情動の平坦化が生じ、恐れや怒りに関連する行動が見られなくなる
目の前の物体は見えているが認知できないため(精神盲)、対象を口に持っていって認識しようとする口唇傾向がみられる
細かい視覚刺激に対し過度に反応するハイパーメタモルフォーシスを示す
性行動の亢進が起こる
クリューヴァー・ビュシー症候群と呼ばれるこれらの諸症状は、側頭葉を両側性(左右とも)に切除して初めて生じ、パペッツの情動回路の妥当性を示唆するものと考えられた
人間においても脳炎などを原因とするクリューヴァー・ビュシー症候群の発症事例が報告されている
パペッツの情動回路の要素の一つとされた海馬は、現在では記憶機能に重要な役割を果たしていると考えられ、それに代わり、側頭葉内側部の前方に位置する扁桃体(amygdala)が情動に深く関与しているとされる
これは1940年代以降、扁桃体の破壊や電気刺激が怒りの反応に影響を及ぼすことが判明したことによる
扁桃体は神経連絡上、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・体性感覚という5感すべての入力を受ける部位
感覚入力の価値判断を行ううえで都合のよい部位であると言える
扁桃体は核複合であってさらに下位領域に分けられ、それぞれの領域の機能の違いも示唆されている
扁桃体を破壊した際に、動物がおとなしくなる場合と、凶暴になる場合とに結果がわかれるが、おそらく破壊した下位領域が異なっていたため生じる結果の違いと思われる
海馬との線維連絡も密接なことから、記憶における情動の影響に扁桃体が関与している可能性がある
人間を対象とした研究においても、情動における扁桃体の関与が明らかになっている
恐ろしい情動に関係する単語を見ている時には扁桃体活動が増加していることをPET画像により示したもの(Isenberg et al., 1999)
扁桃体損傷患者は他人の眼に視線が行きづらく恐怖環状を認識することが困難なことを示したもの(Spezio et al., 2007)
ちなみに、脳内自己刺激が生じる部位(脳内報酬系)である内側前脳束、特に腹側被蓋野から側坐核にいたる経路を「快の経路」と解釈するならば、この部分も情動系に含めてよいだろう
3. ストレスとホルモン
情動に関与する情報伝達系としては、神経系のほかに内分泌系があげられる
内分泌系は内分泌細胞によって血中に放出された化学物質が血流にのって運ばれ、身体内の別の部位に作用するシステム
ホルモン
このような作用の仕方をする化学物質
カナダの生理学者ハンス=セリエ(Selye,H,)は、生体のストレス反応とホルモンとの関係を明らかにした
ストレス
ストレスと言う用語はストレス源を指すのではなく生体のストレス反応を指すもの
ストレス源のことはストレッサーもしくはストレス刺激と呼んで区別する
また、生体のストレス反応は必ずしも不快なものによるだけではなく、楽しい経験などの強い快もストレス刺激になりうる
さらに、ストレス源は心理的なものだけでなく、物理的刺激(温度、光、音など)や化学的刺激(酸素、pH、浸透圧など)の場合もある
セリエは、ラットに様々な種類のストレス刺激を与えてみて、その際の生体の身体変化を測定した
当初はストレス刺激の種類が異なると体内に生じる物質も異なるという特異的な変化を期待して研究が進められた
だが、そのような特異的な反応は見いだされなかった
どのようなストレス刺激を与えたときにも共通に見られる反応としてセリエは次の3徴候を見出した
副腎の肥大
胸腺・リンパ節の萎縮
胃の内壁表面の損傷(胃潰瘍)
ストレス刺激が生体に与えられると、左右の腎臓の上部に位置する副腎の副腎皮質から糖質コルチコイドというホルモンが放出され、糖質コルチコイドが3徴候を引き起こす物質であると同定された
糖質コルチコイドは、脳下垂体前葉から放出されるホルモンである副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)が副腎に作用して放出されるのであり、さらにこのACTH放出は視床下部におけるコルチコトロピン放出ホルモン(CRH)の放出が引き金となって生じる
HPA軸
視床下部(hypothalamus)、脳下垂体(pituitary)、副腎(adrenal)の軸のこと
mtane0412.icon視床下部-下垂体-副腎系
CRH、ACTH、糖質コルチコイドいずれも、放出されたそれぞれの物質が血流を介して放出源に作用して放出を抑制するというネガティブフィードバック機構がある
したがって、もしストレス刺激の負荷が小さかったり短かったりした場合には糖質コルチコイドは比較的低い血中濃度に保たれうるが、ストレス刺激の負荷が大きいまま持続するような事態になるとネガティブフィードバックが十分に効かず、ストレス反応としての様々な身体変化が生じることになる
セリエはストレス刺激を受けた時の反応を全身適応症候群(general adaptation syndrome)と呼び、警告反応期、抵抗期、疲憊期に分けた
疲憊期になると生体の抵抗力は著しく衰え、死に至ることもある
交感神経系やHPA軸の亢進は身体の免疫細胞の機能を全面的に抑制してしまうことになるので、病気にかかりやすい状態となる
特に心理的因子による身体症状のことを心身症と呼ぶ
神経系によるストレス信号伝達機構として、視床下部から自律神経を経て副腎髄質に至る経路があり、この場合は副腎髄質からアドレナリンとノルアドレナリンが放出される
これらも結果として免疫系を抑制し、生体の抵抗力を低めることになる
ストレス反応を軽減させる要因
同一のストレス刺激を与えられても、ストレス刺激への対処可能性がある場合にそのストレス反応が少なくなることが、トリアディックデザインを用いたラットの実験で示されてる
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尾部に対して互いに電線を結わえられた2匹のラットに電線を通じて電気ショックが与えられるが、直列につながっているためその2匹は同じタイミングで同量のストレス刺激を受ける
しかし、片方のラット(A)は自力でその電気ショックを止めることができ、もう一方(B, ヨークト群)は目の前の円盤はダミーであって、電気ショックを止めることはできなかった
その結果、21時間後に大脳辺縁系におけるMHPG-SO4(ノルアドレナリンの代謝産物で、ストレス反応時に増加する)の量はヨークト群で最も多く、実験群では、電気ショックを受けない統制群(C)と同程度に少ないMHPG-SO4量であった(Tsuda & Tanaka, 1985)
このことから、ストレス刺激が到来するとしても、到来時に自ら対処しうることがわかっていれば、ストレス反応は比較的少なくて済むことが示唆される
ただし、同様の実験をサルで行った場合、電気ショックから逃れるための反応をする群に割り当てられたサルのほうがより大きなストレス反応の制御に成功するという結果もある
対処可能性があれば単純にストレス反応の制御に成功するというわけではない
ストレス刺激の強度や生体のとるべき反応の難しさなど、様々な要因がストレス状況の制御の成否に関わってくると考えられる
→9. 心の病気と脳